「置いて、ひとつでお洒落に見えるものをください」
…とご
こうしたストレートなご相談、楽しいです。
基本的にはトータルで成り立つのが
インテリアなのだとおもいます。
「ワンポイントだけで空間を演出する」となると
なかなか難しいものです。
あえて弊店でご用意があるものの中でいえば
「オブジェ」「観葉植物」「フラワーベース」が
その答えになりそうです。
飾り気がない部屋でも、
それをひとつ置くだけで雰囲気が出る。
そういったものは「実用品」ではなく、
どちらかというと無くても成り立つモノが
向いているものが多いです。
“芸術は生活の過剰だそうである”
とは芥川龍之介の言葉ですが、
確かに日常生活から半歩はみ出た余裕が
美を慈しむ感情を育んでいるように思います。
万人に有無を言わさず「美しい」と
感じてもらうのはなかなか難しいですが、
「自然」や「造形物」といったものだと
人生の中でも触れ合う機会が多く、
受け入れられやすい土壌もあるように思います。
翻って抽象画や前衛芸術などは
受け取る側に素養や人間的な成熟さを
求められるものもあるようです。
日用品…弊店の取り扱いでは食器などもですが、
これは感覚的にも美的なものが多いですが
空間演出、となるとシーンを揃えるような
準備が必要なもののように思います。
(もちろん1点で成り立つものもあるのですが。)
どれだけ美しいカップをテーブルに置いていていても
「あれ?片づけないの?」と思われそうですしね。
…と。昨日に続いて面倒なことを言いましたが
「(選ばれる方の)スタイルに合った、少し余剰なもの」で
“お洒落”さを足すなら「どこか心地よい緊張感のある」
…といったモノでいかがでしょうか。
先日届いたアーキテクトメイドのオブジェも
そんなアイテムの一つだと思いますよ。
そうそう、先ほどの芥川龍之介の言葉には続きがあります。
わりと大切に思っている言葉なので、書き足しておきます。
❝ 芸術は生活の過剰だそうである。
しかし人間を人間たらしめるものは常に生活の過剰である。
僕等は人間たる尊厳の為に生活の過剰を作らなければならぬ。
更に又巧みにその過剰を大いなる花束に仕上げねばならぬ。
生活に過剰をあらしめるとは生活を豊富にすることである。 ❞
(“大正十二年九月一日の大震に際して”より抜粋)